天才はあきらめた:読書メモ〜天才とはなんだろう〜

天才はあきらめた の読書メモ.秀逸なワードセンスを持つ著者(南海キャンディーズ山里)の考え方の一端が覗けるかもしれないと考え購入,読書に至る.尚,個人的好きな著者のツッコミはM-1グランプリ2004の決勝戦で放った

やべぇーぜ,日本が銃社会だったら撃ってるぜ

である.

所感

著者が自分自身のことを正直に綴った書籍である,という所感である.著者が活躍するまでの紆余曲折するプロセスを本書籍から垣間見られるのがよい部分かもしれない.本人は自らが天才ではないという自覚を持ちつつも,天才とみなされようと努力している,とのこと(P.79,後述).しかし,その努力の姿勢こそが天才の条件ではないかとオードリー若林により解説されており(P.255,後述),非常に納得した.

引用(気になった部分)

「天才」に関する記述

著者は天才及び自分自身を以下のように考えている.

天才は計算などせずに自然とやったこと・言ったことを,周りが勝手に「特別だ」とか「変わっている」と思う.そういうものだ.それに対して僕は,周りに「特別だ」と意識させるように仕向けて,自分をそこに追い込んでいく. (中略)僕は奇抜なことをしようと思ってする.一方,天才は,したことが奇抜ととらえらえる(P.79 より).

すなわち,天才は無意識に偉業を達成する人のことで,計算ずくで達成しようとする筆者とは一線を画すると考えている.

一方,本書籍のラストにはオードリー若林が「山里亮太は天才である」と解説しており,その理由を以下のように示している.

天才とは,尽きない劣等感と尽きない愛のことなのだから. そして,得てして天才は自分が天才だと気づかない(P.255 より).

すなわち,天才は向上心を持って努力し続けられる人であると考えている(のだと思う).個人的には上記表現,非常に素敵であると考えるのであるが如何でしょうか.また,著者・解説いずれも天才は自分自身が天才であると気が付かないと指摘していることが面白い.

その他

以下は単純に自分が気になった表現を引用する.

  • 言い訳は一律に悪であると思っていたが,以下の文により言い訳も使いようだな,と考えるようになった.

心の傷口を広げないようにするには,目の前のマイナスなことを肯定する言い訳を上手に用意するのが大事だと思っていて,うまくいかないことがあると僕はそれを必ずやっていた.前向きな戦いを挑んでたとえ失敗しても,それを続けるための言い訳は立派な武器だと僕は思っている.(P.58 より)

  • 別のお笑いコンビ(千鳥・笑い飯)に対して,どのようにネタをつくっているか著者が訊ねた際の返答.とても簡潔であるが,(ある種の)Going My Way の精神,及び間主観性の重要性を示している気がする.

自分が客席にいたとして,その自分が見て笑うものをやっているだけ(P.114 より)

参考文献

山里亮太, "天才はあきらめた, " 朝日文庫,2018.