デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化された計算機による侘と寂1の読書メモ.魔法の世紀 2 から3年,著者のパワーアップした考えがてんこ盛りに書かれた作品となっている.扱う話題が人工知能から荘子までべらぼうに広く,また非常に硬い文体であるため,読むのは簡単ではない.しかしシン・ニホン 3と同様著者が相当な熱量を以って書いている作品であり,個人としては非常に楽しく読むことができた.
(参考):魔法の世紀及びシン・ニホンについての読書メモです.
引用(気になった部分)
我々の社会が抱えている最大の格差—それは経済資本の格差ではなく「モチベーション」と,そしてその根底をなす「アート的な衝動」を持ちうるかの格差である.現行人類のコンピュータに対して優れている点は,リスクを取るほどに,モチベーションが上がるところだ.これは機械にはない人間だけの能力である.逆にリスクに怯え,チャレンジできない人間は機械と差別化できずに,やがてベーシックインカムの世界,ひいては,統計的再起プロセスの世界に飲み込まれるだろう(P.66 より)
デジタルネイチャー,すなわち計算機によって生じる事象が当たり前になる世界において「アート的な衝動」,すなわち計算機では計算不能な固有の原理を持つかが重要であると説いている.なお『統計的再起プロセスの世界』とは,いわゆる社会の歯車に他ならない4.
言語的な理解よりも先に当事者の意志によってモノが動く状態を「魔法」や「魔術化」と呼んでいるのだ(P.106 より).
魔法の世紀のタイトルにもなっている「魔法」の概念.言語によるコミュニケーションでは,言語という枠組みにはめる必要から,言語化のプロセスで情報が抜け落ちてしまう性質がある.著者は言語化のプロセスを介さず,現象そのものをテクノロジーで伝送してコミュニケーションを図ること(「現象 to 現象」)の大いなる可能性を示唆している.
ただし個人的には「現象 to 現象」に関しても,伝送する媒体・機器,そしてそれらを動作する際に用いる自然言語(すなわち数学)の枠組みにはめていることを忘れてはならないと考えている.
しかし,今後の社会で求められるのは「わらしべ長者」的な働き方だ.(中略)あるいは,イソップ寓話の「アリとキリギリス」における,キリギリス的な生き方と言っても良いかもしれない.寓話では,夏の間に好きなことをしていたキリギリスは,冬になると凍えてしまう.しかし今は,冬が苦手なキリギリスでも,環境を変えて存分に個性を伸ばせる時代である.キリギリスは自らの才能に賭けて命がけで好きなことを追求し,その成果で南国に移住すればいいのだ.アリのように,危機に備えて我慢を重ねるのではなく,リスクを取って得意分野を追求し,弱点は環境を変えることで克服すればいいのだ.(P.200 より)
本書で一番心に引っ掛かった部分.(Alan Key ではないが,)発明することで次なる環境を創出することで弱点を克服できる面が不器用な自分にとって大いに参考になった部分である.本文中における『才能』なり『得意分野』というのは,先述の「アート的な衝動」が原動力であるんだろうな.